2017年 01月 03日
感性と思考の建築、ポピュリズムを超えて |
Innovation Nippon2016 セミナーに参加した。
テーマは「米国大統領選挙にみるiTと選挙のイノベーション」。
各論の感想はともかく、その聴衆としての全体的印象は以下のようなもの。
ITメディアによる情報時代の選挙は「共感と感情」が優先される。
時間を持つ「思考」は瞬間的な「感情」に対し優先されることはない。
従って、電脳術の時代の選挙は従来の様相をことごとく変えて行く。
ここからの問題は、メディアとコンテンツの関係、ということだろう。
しかし、このテーマはもちろん、選挙だけに関わる問題ではない、ということが重要だ。
選挙では当然だが、電脳術時代の思考停止したコンテンツの氾濫は選挙のみならず、あらゆる事柄についてポピュリズムを巻き起こすばかりだろうか。
SNSをはじめ現在のインターネット上のコンテンツの大半は情報であることは間違いないが、大半は広告等セールスプロモーションに過ぎない。
ルネサンスの印刷術時代のペーパー情報が果たした役割は、文学・哲学・芸術を一般化したことにある。
そして、そこから生み出された「思考」が18世紀の市民社会、近代社会を創生した。
聖(宗教)俗(貴族)にある権力者の特権的情報が思考され、大衆化され民主主義が生まれたのだ。
しかし現代社会、その基盤である民主主義が形骸化し歪み始めている。
従って、電脳術時代の選挙をテーマとするなら、再度「思考の大衆化」が重要。
一方、中立を強調する既存のマスメディアではすでに、新時代のメディアの役割を失っている。
なぜなら、今、求められているのは中立的な情報ではなく、個々人の思考に関わるコンテンツだからだ。
今、問われるのは「電脳術時代の思考」、そこでは瞬間的感情とは異なる、時間的持続の方法と言うことだろう。
by leporello1
| 2017-01-03 09:01
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