ピラネージの黒い脳髄 マルグリット・ユルスナール |
ユルスナールの見るピラネージは目や手が頭脳より賢い芸術家。しかし、彼は同時代のプッサンのようにローマを個人的夢想や叙述的世界の舞台背景を描いわけではなく、建築工事の秘密に迫り、それらの記憶を保存しようとした考古学者であり建築家なのだ。つまり彼が描いたローマの景観や廃墟はありふれたものから異様なものまで、あるがままの都市そのものだった。
ピラネージの描いたローマの建築はその後1/3は消滅している。建築はドラマであり、ドラマの舞台装置、それは石造工事の中に銘を入れている人間の意思、時との場として、ユルスナールはピラネージの都市をテーマとして作品を見ている。さらに描かれている侏儒のような人物に注目し、それは建築の円天井の高さや遠近法の奥行きの深さには貢献しているが、建築と人間の高貴さを調和させるものではない。彼の作品はまさにメフィストテレス的悪魔の軽快感を持ち、終始し18世紀的イメージを喚起すると同時に、当時の音楽で言えば、緩徐調(ラルゴ)とは対照的なスケルツォだ、と書いている。
読み進んでいき、最も納得した言説を以下に引用しておこう。それは、18世紀の建築世界、ピラネージの描く「幻想の牢獄」は20世紀建築の世界のことではないか、とかねてから考えていたからだ。「牢獄は18世紀人が遺してくれた最も奥深い秘密を持つ作品の一つ。これは夢に関わっている。・・・・夢の特徴とは、時の否定、空間のずれ、空中浮遊の暗示、不可能と和解した、あるいは不可能をのりこえた陶酔感、外側から幻視者の作品を分析する者が考える以上に恍惚に近い恐怖、夢のもろもろの部分および人物のあいだの目に見える接触ないし関係の欠如、そして最後に宿命的かつ必然的な美。・・・・これはまさに「石の夢」なのだ。」
この建築世界は世紀末のボードレールや戦前のベンヤミン、あるいはかってバロセロナで体験したミース・ファン・デル・ローエのパビリオンが放っていた恐怖だ。あるがままの我々を取り巻く人工的空間が作品として、世界と人間、人間と人間の関係に一切関わらなくなった恐怖、それは建築デザインの喪失。