2019年 06月 30日
シカゴ育ち スチュアート・ダイベック |
久しぶり、東京堂の2階をぶらついていたら「いままで訳した本のなかでいちばん好きな本を選ぶとしたら、この「シカゴ育ち」だと思う。」と書かれたビラが目に入り、思わず買ってしまった。このコメントはダイベックの「シカゴ育ち」の訳者柴田元幸さんのもの。彼は例のオースターの名訳者だ。読み終わって気がついた事だが、ダイベックはオースターほどではないが、既に沢山の小説を書き、柴田さんはもう彼の本を4冊も翻訳されていた。
たまには静かな書店をぶらつきたいと思い、出かけ、大変な収穫だった。「シカゴ育ち」はヴェトナム戦争以降のこの街のリアルな時空をうろつき回る短編集。雰囲気はどこか幻想的で、まさに現代絵画の中を彷徨っている雰囲気。その決め手となるのがこの短編集の中の夜鷹(ナイトホークス)にある。
ダイベックは仕事のない「僕」がミシガン・アベニューをぶらつき、美術館で時間をつぶすシーンを描くが、ドガのグランド・ジャッド島やサン・ラザールやサン・タドレスの絵の中に入り込み言葉にしていく。そして「僕」の絵画めぐりの締めくくりはエドワード・ホッパーのナイトホークス(夜ふかしをする人)。この絵の三人めの客はマイクルコナリーが自身のミステリー「ナイトホークス」の主人公ハリー・ボッシュのことだと書いている。一方、ダイベックは何かを待っている「僕」のことだと書いている。それも始まるのではなく、終わるのを。マイクルコナリーのハリー・ボッシュは16世紀フランドルの画家、ヒエロニムス・ボッシュのことだ。オースターやモディアノを読んでいても同じだが、どうやら都市小説はブラブラ歩きとシンクロさせ、絵画のようなイメージを生み出すようだ。しかし、均質で記号化された観光都市東京では不可能なことかもしれない。
by leporello1
| 2019-06-30 14:10
| book
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