2019年 06月 25日
マネのサン・ラザール駅 |
マネのサン・ラザール駅
モネのサン・ラザール駅
モネのモニエ通り
マネのモニエ通り
モネはマネによって見いだされた、その後の印象派美術の大家だが、二人はどうやら、まったく異なる近代画家であったのではないか思えてくる。
いきさつはともかく二人はほぼ同時期にサン・ラザール駅を描いている。
マネは1874年、ドガは1877年。
パリ近代化の象徴サン・ラザール駅の建設は1837年、さまざまな絵画世界を模索中の画家であるなら、誰でも一度は描いてみたい新風景、しかし、二人の最初のサン・ラザール駅は全く異なる視点でこの近代風景を作品化していた。
いろいろな評者がこのことに触れていて、マネは構内で描くことを拒否され、モネは許された、という人もいて、笑ってしまったが、だれもがマネのサン・ラザール駅を解明したいと思っているに違いない。もっとも、マネの面白さはこの作品に限らず、いわゆる印象派ということより、彼の表象世界の真の意味その不思議さにあるのだが。
アイドルタレントの和田彩花さんが、マネのサン・ラザール駅を「煙の中の鉄道」という表題でコメントされていた。(6月25日東京新聞朝刊)
画かれた世界の「答えは不明だが、答えの正否より、答えをもとめる鑑賞にこそマネの狙いがあるような気がしてならない。」
by leporello1
| 2019-06-25 09:31
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