2017年 03月 07日
アレヴァ |
昨年12月、トランプより驚いたのは、ル・モンド電子版の「アレヴァ」。 フランスの「腫瘍」となった大問題。フクシマ以来、原発はもはや、腫瘍以上だ。中央アフリカの惨状はまだ日本のメディアは取りあげていないが、今朝、東京新聞朝刊は東芝の二の舞「三菱重、原然出資大丈夫?」を記事にした。
以下は電子版「アフリカにおけるアレヴァの奇妙な事件」抜粋
アフリカにおけるアレヴァの奇妙な事件
ジュアン・ブランコ(Juan Branco)国際法研究者
L’Ordre et le monde. Critique de la Cour pénale internationale
(Fayard, Paris, 2016)
http://www.diplo.jp/articles16/1611-1uramin.html
このフランスの企業グループは2007年に、その前年からバクマ鉱山の権利を保有していた会社、ウラミンを買収していた。中央アフリカ共和国の東部に位置する巨大なウラン鉱脈の「発見」[訳註1]はこの国に大きな希望を与えていたため、当時[2003〜2013年]大統領だったフランソワ・ボズィゼ司令官はアレヴァに対し、とある村の近くに原子力発電所を建設するよう求めた。その村には飲料水も、電気も、電話もまだなかった。アレヴァの幹部たちは住民たちに学校やスタジアム、病院の計画を示し、その予算合計は10億ユーロに達していた。彼らはそれらをこの地域に建設しようとしていた。確かにそう約束していたのだ。
協定の調印から8年と1度の内戦が過ぎ、ボズィゼ氏は亡命した。バクマの鉱床は放棄された。この国の平均寿命は今もまだ50歳を超えてはいない。国民一人当たりの国内総生産(GDP)は350ドルだ。アレヴァが建設を約束していた道路や病院、学校は一つも作られてはいない。ひどい栄養失調で苦しみ、お腹が膨らんだ数十人の子供たちは、焼いた土で作られた村の小屋に住み着いていた。この村はかつて飢餓を経験したことはなかった。そしてつい最近、たった一人だけ残っていた医者も失ってしまった。村人は電気、飲料水、電話網を少しの間だけ手にしたが、今では何もかもなくなってしまった。
「ピッ、ピッ、ピピピピ……。」ガイガーの放射線量計測器が鳴る。高く伸びた草の間を通り過ぎるとシャツは汗でびっしょりとなり、呼吸するのも難しくなった。気温は35、36、37、そして40度まで上がっていく。バクマの鉱山キャンプはアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ストーカー』の「無人地帯」のようだ。その呪われた空間では植物と廃墟と錆が混ざり合い、徐々にその区別が消え去って一つの塊を形成していた。失敗に終わった専門家の派遣プロジェクトと「フランス・アフリカ関係」が保たれた40年という時間が、この場所にある巨大な凹地に集約されている。その凹地は放射能にまみれ、泥と落ち葉からなる厚い層が建造物をすっかり覆ってしまっている。それらが放棄されてからはまだ4年も経っていない。
非常に重要であり、かつ細心の注意を要する諸作業はまったく行われなかった。たとえば、放射性廃棄物を埋めること、施設や道具の汚染除去、周囲に暮らす人々にとっては必須となるだろう鉱山サイトの安全確保といった作業だ。最も基本的なルールすら破られ、注意標識も設置されず、危険な場所へのアクセスを禁止する柵もない。私たちがこの場所にある主要な鉱床に危険を冒して足を踏み入れた際、そこは放射能で溢れていた。小さなトウモロコシ農園とコブ牛の群れに挟まれた畑の真ん中に、放射性廃棄物がそのまま放置されていた。その廃棄物の真上の放射線量はこの地域の自然被曝量の40倍(1)、フランスの原発で働く労働者に対して許可された最大被曝量の17倍の数値を示していた。最後の赴任者がこの地を去ってしまったため、医療施設は完全に取り壊されてしまった。現地の職員たちの健康診断データもどこかに消えてしまった。調査は何も実施されなかった。
アレヴァは今日、バクマから撤退した理由をインターネット上で簡潔に掲載している。「フクシマ事故以降のウラン価値の下落と、数カ月前からこの国で進んだ治安の悪化を理由として、2012年9月、アレヴァは中央アフリカ共和国バクマにある鉱山開発の中断を発表しました」。この鉱床の買収は実際、ウラン争奪競争の真っ最中になされた。スポット価格(直物買い)は当時最も高い値に達していた。だがその値は、もともと長期契約の取引で、当該期間においてその変動が比較的小さかったウラン市場の現実からはかけ離れていた。さらに、フクシマの原発事故よりもずっと前に、そしてアレヴァが他の鉱山(とりわけモンゴルの鉱山)やカナダのシガーレイクの大規模な開発へ投資する直前に、そのサイトの解体はすでに始まっていたのだ。
中央アフリカ共和国はもはやアレヴァに関する資料の1枚すら保有してはいない。したがって、このフランスの企業グループに対するあらゆる現地訴訟が困難になっている。現鉱山大臣のジョゼフ・アグボ氏はこの件について「まったくの無力」だと言う。彼は事を進めようと何度も試みたが、「この場所でアレヴァの代理を担うバンギ人の公証人 」を経由しなければアレヴァと連絡を取ることはまったくできなかった。そして、そのバンギ人は喋るのが得意ではなかった。いずれにせよ、中央アフリカの労働者たちはアレヴァに対する訴訟手続きをバンギでなんとか開始し、目下進行中だという。しかし、中央アフリカ共和国の検事、ギスラン・グレゾンゲ氏はうんざりしながら「[そのような件は]まったく聞いたことがない」と話す。
以下は電子版「アフリカにおけるアレヴァの奇妙な事件」抜粋
アフリカにおけるアレヴァの奇妙な事件
ジュアン・ブランコ(Juan Branco)国際法研究者
L’Ordre et le monde. Critique de la Cour pénale internationale
(Fayard, Paris, 2016)
http://www.diplo.jp/articles16/1611-1uramin.html
このフランスの企業グループは2007年に、その前年からバクマ鉱山の権利を保有していた会社、ウラミンを買収していた。中央アフリカ共和国の東部に位置する巨大なウラン鉱脈の「発見」[訳註1]はこの国に大きな希望を与えていたため、当時[2003〜2013年]大統領だったフランソワ・ボズィゼ司令官はアレヴァに対し、とある村の近くに原子力発電所を建設するよう求めた。その村には飲料水も、電気も、電話もまだなかった。アレヴァの幹部たちは住民たちに学校やスタジアム、病院の計画を示し、その予算合計は10億ユーロに達していた。彼らはそれらをこの地域に建設しようとしていた。確かにそう約束していたのだ。
協定の調印から8年と1度の内戦が過ぎ、ボズィゼ氏は亡命した。バクマの鉱床は放棄された。この国の平均寿命は今もまだ50歳を超えてはいない。国民一人当たりの国内総生産(GDP)は350ドルだ。アレヴァが建設を約束していた道路や病院、学校は一つも作られてはいない。ひどい栄養失調で苦しみ、お腹が膨らんだ数十人の子供たちは、焼いた土で作られた村の小屋に住み着いていた。この村はかつて飢餓を経験したことはなかった。そしてつい最近、たった一人だけ残っていた医者も失ってしまった。村人は電気、飲料水、電話網を少しの間だけ手にしたが、今では何もかもなくなってしまった。
「ピッ、ピッ、ピピピピ……。」ガイガーの放射線量計測器が鳴る。高く伸びた草の間を通り過ぎるとシャツは汗でびっしょりとなり、呼吸するのも難しくなった。気温は35、36、37、そして40度まで上がっていく。バクマの鉱山キャンプはアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ストーカー』の「無人地帯」のようだ。その呪われた空間では植物と廃墟と錆が混ざり合い、徐々にその区別が消え去って一つの塊を形成していた。失敗に終わった専門家の派遣プロジェクトと「フランス・アフリカ関係」が保たれた40年という時間が、この場所にある巨大な凹地に集約されている。その凹地は放射能にまみれ、泥と落ち葉からなる厚い層が建造物をすっかり覆ってしまっている。それらが放棄されてからはまだ4年も経っていない。
非常に重要であり、かつ細心の注意を要する諸作業はまったく行われなかった。たとえば、放射性廃棄物を埋めること、施設や道具の汚染除去、周囲に暮らす人々にとっては必須となるだろう鉱山サイトの安全確保といった作業だ。最も基本的なルールすら破られ、注意標識も設置されず、危険な場所へのアクセスを禁止する柵もない。私たちがこの場所にある主要な鉱床に危険を冒して足を踏み入れた際、そこは放射能で溢れていた。小さなトウモロコシ農園とコブ牛の群れに挟まれた畑の真ん中に、放射性廃棄物がそのまま放置されていた。その廃棄物の真上の放射線量はこの地域の自然被曝量の40倍(1)、フランスの原発で働く労働者に対して許可された最大被曝量の17倍の数値を示していた。最後の赴任者がこの地を去ってしまったため、医療施設は完全に取り壊されてしまった。現地の職員たちの健康診断データもどこかに消えてしまった。調査は何も実施されなかった。
アレヴァは今日、バクマから撤退した理由をインターネット上で簡潔に掲載している。「フクシマ事故以降のウラン価値の下落と、数カ月前からこの国で進んだ治安の悪化を理由として、2012年9月、アレヴァは中央アフリカ共和国バクマにある鉱山開発の中断を発表しました」。この鉱床の買収は実際、ウラン争奪競争の真っ最中になされた。スポット価格(直物買い)は当時最も高い値に達していた。だがその値は、もともと長期契約の取引で、当該期間においてその変動が比較的小さかったウラン市場の現実からはかけ離れていた。さらに、フクシマの原発事故よりもずっと前に、そしてアレヴァが他の鉱山(とりわけモンゴルの鉱山)やカナダのシガーレイクの大規模な開発へ投資する直前に、そのサイトの解体はすでに始まっていたのだ。
中央アフリカ共和国はもはやアレヴァに関する資料の1枚すら保有してはいない。したがって、このフランスの企業グループに対するあらゆる現地訴訟が困難になっている。現鉱山大臣のジョゼフ・アグボ氏はこの件について「まったくの無力」だと言う。彼は事を進めようと何度も試みたが、「この場所でアレヴァの代理を担うバンギ人の公証人 」を経由しなければアレヴァと連絡を取ることはまったくできなかった。そして、そのバンギ人は喋るのが得意ではなかった。いずれにせよ、中央アフリカの労働者たちはアレヴァに対する訴訟手続きをバンギでなんとか開始し、目下進行中だという。しかし、中央アフリカ共和国の検事、ギスラン・グレゾンゲ氏はうんざりしながら「[そのような件は]まったく聞いたことがない」と話す。
by leporello1
| 2017-03-07 16:00
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