Quo Vadis
2023-05-19T21:50:29+09:00
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散歩と雑学
Excite Blog
メトラィブビューイング「ファルスタッフ」
http://leporello.exblog.jp/33264799/
2023-05-19T21:36:48+09:00
2023-05-19T21:39:07+09:00
2023-05-19T21:39:07+09:00
leporello1
music
16世紀末のシェークスピアの喜劇の一部が19世紀末、ヴェルディの「ファルスタッフ」として再登場。古来からのイギリスのことわざ「最後に笑う者が最もよく笑う」がこの喜劇の締め。先月のニューヨークでの公演、メト版オペラを新宿ピカデリーで楽しんだ。
ヴェルディの最後のオペラが喜劇とは、しかし、このオペラはモーツァルトに劣らぬ「アンサンブル・オペラ」。そうか、モーツァルトも世紀末の人。文学も音楽も時代の変わり目は名作の宝庫のようだ。
ロバート・カーセンの演出では1950年代のホップ感覚が舞台一杯に広がっている。衣装も舞台も華やかで、世紀末とは異なる時代感覚が、登場人物一人一人の個性と絡まり、奥行き深く表現される。アンサンブルよる華やかな歌唱、その仕草、表情、衣装はまさにいまや忘れてしまったが、かってのポップ感覚を想い出させ楽しかった。
指揮はダニエレ・ルスティエーニ、演出どうり素晴らしい演奏、今後もたのしませて頂きたい、しっかりマークさせていただいた。
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街とその不確かな壁 村上春樹
http://leporello.exblog.jp/33243650/
2023-05-04T19:11:00+09:00
2023-05-18T14:15:05+09:00
2023-05-04T19:13:22+09:00
leporello1
book
読書はキャッチャーではない、バッターなんだ。投げられたボールを受けるのではなく、打ち返すのが読書の楽しみ。感情移入し、泣いたり、笑ったり、共感するだけなら映画がいい。しかし、現在の優れた映画もまた、もはや感情移入の対象ではない。「作品」とは制作者というピッチャーが投げたボール。読者はその「虚構」をどう読むか。三振でも良いではないか、球筋だけでも読めたなら。
類推的建築論(引用、偶像的類推、転喩、相関)による「建築」をデザインしたイタリアのアルド・ロッシと同時代、メタファー(隠喩)とオブセッション(こだわり)による「物語」を書き続ける村上春樹とはいつもどこか繋がるものがあると思っている。
しかし、ロッシはそのスケッチ図において決して「影」を描き忘れる事はなかった。それは「虚構」を「実体化」するのが「影」であり、「影」があることで「建築」は作り手ではなく使い手のものとなり実体化されるのだ。
しかし、この物語は「影も時もない街」の話し。キミと別れ、一人東京に残されたボクは「影」を失い、この街で夢を読みつづけるという「虚構」。この「虚構」はどう実体化されるのか。
A・B・A*という3部構成は、名前が記されないボクとキミ、福島の山間の街の図書館長とイエローサブマリーンのヨットパーカーを着る男の子による三楽章の弦楽四重奏と言って良いのかもしれない。つまり「不確かな壁」という「物語」は「音楽」もまた「実体化」に関わっている。
ここからは個人的過ぎる感想だが、出版者やハルキストが生み出した「ノルウエーの森」はノーベル賞作品ではない。しかし、彼は川端や大江の日本から離れ、今の我々の「世界」を生に描ける唯一の現代作家と言って良いのではないだろうか。
彼が生み出すものは、古典的な未知なる世界の「物語」やフロベール以降の誰でも知る世界を描く紋切り型「小説」とは異なり、現代世界を未知の空間的視点から描いた「物語」。
「世界の終わりとワンダーランド・ハードボイルド」はその「先駆け」だったと思っている。現代世界の「実体」は「物語」としてしか描けない。「実体」はもはや他分野のアートとは異なり、作家のものではなく、読み手のもの。作家の投げた「影=卵」を撃つのは我々読者なのだから。
アートやエンターテイメントに踊らされる現代社会、そこではもはや「実体」はなく、受容者をおもねる「お祭りドクトリン」のみが謳歌される。フェスティバルやイベントは虚構ではなく、我々を誘導する安易な「空間装置」に他ならない。そこでは我々の「世界」の意味(批評)が示される事なく、感覚的な享楽のみに踊らされてしまう。そんな世界から今、たくさんの小説や建物が作り続けられている。
村上春樹は「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます」とエルサレム賞受賞の際スピーチした。「不確かな壁」は現代世界へ、彼が投げる「卵」(=現代批評)。そう、我々の世界はキャッチャーのいない「ライ麦畑」。「キャッチャー」がいた時代のサリンジャーにかわり、彼は「不確かな壁」に「卵」を投げたのだ。
此処でもない彼処でもない、と「空間」に拘る村上春樹の「物語」はいつも現代「建築」に関わっている、とすでに書いた。
磯崎新の「新都庁舎計画」には「ワンダーランド」の「やみくろ」が引用されたが、今度は逆に「不確かな壁」には磯崎の「新国立競技場問題」における「偶有性操縦法」とその「建築不在」が下敷きとなっている。
「キャッチャー」は戦後すぐの1949年の出版。その四半世紀後の1975年には「ワンダーランド」と「新都庁舎計画のやみくろ広場」。それから半世紀後の今は「不確かな壁」、そこでは実体としての「都市と街」は「影」となる。「物語」に描かれる「現代世界」からは最早「実体」も「虚構」も消えてしまったのだ。
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意味の環境論 瀬尾文彰
http://leporello.exblog.jp/33219346/
2023-04-20T16:32:00+09:00
2023-04-22T18:59:35+09:00
2023-04-21T16:34:03+09:00
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book
詩や小説として表現される「空間」は、読み手にとっては、その詩的イメージである地形を、「家や宇宙」の内実にある「意味」を、いかに体験するか、その具体的な例証が前書「空間の詩学」。この書では実在化される「都市や建築」の「意味」が問われている。「意味」は作り手ではなく、体験する我々のものであることは前書も同じ。80年代に出版され、同時代の建築状況への批判でもあるが40年後の現在、批判される状況は「意味」を失い、提案も新たな「意味」に繋がらず消滅した。個人的感想だが、「空間」の「意味」は問い続けなければならない。]]>
パリタクシー
http://leporello.exblog.jp/33220237/
2023-04-20T16:16:00+09:00
2023-04-25T08:31:19+09:00
2023-04-22T01:19:06+09:00
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movie
箱のなかの話し大都市パリを走る箱のなかの二人の話し。誰もが迎える終活と、まだまっただなかの苦い人生。半日の箱の外は二人の話しと今は無縁だが、しかし、この猥雑な風景が全て、二人のドラマを生み出したのだ。久しぶり、良い映画を観たなぁ、という実感。劇場内が急に眩しくなり、仕方なく猥雑でがらんどうな新宿の街に戻った。
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空間の詩学 ガストン・バシュラール
http://leporello.exblog.jp/33219334/
2023-04-14T16:26:00+09:00
2023-04-22T09:12:03+09:00
2023-04-21T16:30:43+09:00
leporello1
book
科学哲学者であった著者は晩年、客観性を追及し、純粋な認識を得ることより、主観による充実した豊饒な想像的イメージの世界に関心を移す。そして、詩的想像力の現象学である「空間の詩学」「夢想の詩学」を生み出した。想像力によって捉えられたイメージは実在するのだ。イメージへの共鳴ではなくその反響が全自我に没入する。そして一つ世界が夢想の中に形成され、その像は個々の我々の世界となる。多くの詩人たちが描いてきた「ことばの世界」、その詩的イメージを著者は地形分析と呼ぶが、その地形の体験こそが、個々人が果たすべき役割となる。]]>
神殿か獄舎か
http://leporello.exblog.jp/33220500/
2023-04-08T22:28:00+09:00
2023-05-06T07:43:30+09:00
2023-04-22T09:32:16+09:00
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book
日本の近代建築のヒストリカルを問うならば「大正建築」は欠かせない。明治と昭和の間にあって、この時代、はじめて我々は「建築」を知ったのではないか。様々な近代建築が作られたが、この書はノスタルジーではない。評価されている建築は「建築」を知らないマスコミには、もはや保存建築であろうが、建築において「獄舎的思惟」の系譜こそ検討すべきだ。]]>
芸術の終焉のあと アーサー ダントー
http://leporello.exblog.jp/33220530/
2023-04-03T21:34:00+09:00
2023-05-19T21:50:29+09:00
2023-04-22T09:58:00+09:00
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book
ダントーは同時代のナラティブな視覚芸術の終焉を書いている。つまり、テーマはその後の現代芸術は如何に。ヴァザーリー以来、模倣・表現と続いた近代芸術のあと、ポスト・ヒストリカルは有るのか、無いのか。正直、読み取れていないが、「芸術作品は意味するのではなく、存在するのでなければならない。」という最近の主張に対し、断固、それは不可能と書いているところに深く共感した。
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メトライブビューイング「フェドーラ」
http://leporello.exblog.jp/33086662/
2023-03-03T07:49:48+09:00
2023-03-19T07:52:54+09:00
2023-03-19T07:52:54+09:00
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music
初めて聴くフェドーラ。1880年のジョルダーノは徹底したヴェリズモ形式でこのオペラを作曲、初演は大評判だった、と書かれていた。
ヴェリズモと言えばトスカを思い出す。ナポレオン侵略時のローマ、プッチーニは丁度100年前の出来事を1900年に作曲した。教会・宮殿・牢獄、全てローマの有名建築を舞台にし、サンタンジェロの広場で夜明けの羊飼いの少年の歌を響かせる、プッチーニの周到さにはいつも感心して聴きていた。
まさにトスカの先駆けがこのフェドーラだったのだ。オペラ時代のオペラは単にオペラを楽しむだけではない、重要な役割、それは、ロマンだけではなく、時代の持つ意味を作曲者は入念に描いていた。
メトロポリタンのこのオペラ再演は25年ぶりだそうだが、ジョルダーノの音楽はもちろん、楽器編成、舞台衣装やインテリア家具、小物、周辺装置等、全て細部にわたり徹底し、1880年に拘っていたのには驚いた。それはこのオペラが当時取り組まなければならない、重要なテーマ、見えなくなりつつある「真実の愛」を如何に描くか、ということ。インターネットによる知の流動化、全てはデータベースで事足りる日常的世界の抽象表現。このオペラは現代社会の持つ意味への挑戦なのだ。今回のメトは懸命に現在の知の流動化不安に応えたオペラをつくりだした、と言って良いのではないだろうか。
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小石川植物園
http://leporello.exblog.jp/33090372/
2023-02-28T11:11:27+09:00
2023-03-20T11:16:37+09:00
2023-03-20T11:14:17+09:00
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take a walk
バレーシンブエヤン/ミャンマー
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オペラ研修所、コジ・ファン・トッティ
http://leporello.exblog.jp/33086682/
2023-02-19T08:01:00+09:00
2023-03-19T09:37:43+09:00
2023-03-19T08:04:30+09:00
leporello1
music
新国立劇場オペラ研修所終了公演。コロナ禍で大学を修了、その後の3年間の研修生たちによる、3日間15人によるコジ・ファン・トッテ。 そして今日は最終日、素晴らしかった。
モーツァルトのオペラの魅力はアンサンブル。若々しい歌手たちの六重唱は力強く、清々しく、圧巻だ。
思い出すが10年余り前の東日本大震災の折。あの日も確か今日と同じ研修所公演はコジだった。
あの日はエンディングまで届かず公演は中止。長時間、フォトしたホールに留まり、ようやっとOKが出て、初台から延々と自宅まで歩いて帰った。
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ガエ・アウレンティとジュゼッペ・ヴェルディ
http://leporello.exblog.jp/32759184/
2023-01-11T10:03:00+09:00
2023-01-12T10:12:46+09:00
2023-01-12T10:12:46+09:00
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event
九段のイタリア文化会館(2005年)の設計者、ガエ・アウレンティはパリのオルセー美術館(1985年)の改修のみならず、オリヴェッティのショールームやポンピドー・センターのインテリア・デザイナーとして知られているイタリア人女性デザイナー。年末から彼女の作品展が九段で開催されているので早速見に行った。出掛けた10日は文化会館コンサートNo.1「ジュゼッペ・ヴェルディの音楽」の開催日。演目は彼には珍しいナポリの「アイーダ」時代の弦楽四重奏とバスのマウリッツォ・ムラーノによる歌曲集。オペラ作曲家以前のヴェルディは男の哀歌をムラーノに「もう静かに眠らせてほしい」と歌わせる。
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第132回定期演奏会・紀尾井ホール室内管弦楽団
http://leporello.exblog.jp/32316835/
2022-09-24T11:33:16+09:00
2022-09-24T11:41:15+09:00
2022-09-24T11:41:15+09:00
leporello1
music
「宇宙の旅」の読書を中断して聴きに行った演奏会は紀尾井室内管弦楽定期演奏会。ワーグナーの牧歌とショパンのコンチェルト、シューベルトの交響曲。イギリス古楽界のトレヴァー・ピノックを首席指揮者としてのはじめての演奏会は全てが新鮮、印象は中断した読書感覚とピッタリと重なった、それは情景や感情とは異なる抽象的世界だからだ。
三曲の演奏は全て満足。超ロマン主義的ワーグナーでない、牧歌のジークフリートはコジマとの息子への父親としての祈りのような賛歌だ。
まだ15才、ロシアのアレクサンドラ・ドウガンの日本デビューは今晩のメダマ。そのピアノは従来のショパンの印象を超え、感情を押さえ何処までも抽象的で現代的。古楽のトレヴァー・ピノックの指揮はアレクサンドラだけではなくシューベルトにも発揮されている。それはロマン主義的であるより、古楽的、いや現代的であるようだ。
彼の紀尾井ホール室内管弦楽団首席指揮者就任は期待以上。今後の演奏会も欠かせない。
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紀尾井ホール131回定期演奏会
http://leporello.exblog.jp/32230345/
2022-07-23T07:41:00+09:00
2022-09-06T08:14:31+09:00
2022-09-06T07:44:33+09:00
leporello1
music
紀尾井ホール、昨年は兎も角、131回定期演奏会は実施された。楽しみしていたコントラストバスの池松宏さん演奏のトゥビンの協奏曲。70年前、ピアノ伴奏でアメリカで初演されたが、今日はチェンバーオーケストラ。独奏者を見下ろせる特等席(?)でダブルバスを生に体験した。この現代曲は20世紀の実感的幻想、音響でもリズムでも無く、音楽による人間的心象世界。その世界には時に好みではないストラビンスキー的メロディが絡むが、全体はバルトーク的知的幻想が遠くへ大きくひろがっていく。彼の演奏はいつも素晴らしい。次の体験はいつか。]]>
メトライブビューイング「ハムレット」
http://leporello.exblog.jp/32230457/
2022-07-15T08:56:00+09:00
2022-09-06T09:13:10+09:00
2022-09-06T09:05:04+09:00
leporello1
music
オペラで「ハムレット」をはじめて体験した。作曲者ブレット・ディーンはベルリン・フィルのヴィオラ奏者だったそうで、このオペラは2作目ということのようだが素晴らしい現代オペラだ。十六世紀の舞台を十九世紀末のデンマーク王宮に換え、ニューヨークメトで演奏された。その映像をコロナ禍の新宿ピカデリーで観るというなんともアクロバティックな体験だが、こんな生き生きしたオペラは久しぶりだ。いつものオフィーリアはなんとも可哀想。この500年ハムレットのドジは全く変わらないようだ。]]>
メトライブビューイング「ドン・カルロス」
http://leporello.exblog.jp/32230339/
2022-05-20T07:39:00+09:00
2022-09-06T08:14:04+09:00
2022-09-06T07:41:05+09:00
leporello1
music
昨日の東劇メトライブビューイングはドン・カルロス、フランス語版でフォンテンブローの森から始まるから、5時間近い演奏。ヴェルディがフランスに招待され初演。しかし、19世紀半ばのパリのブルジョワジーには不評だったそうだ。このメト版は現在のドン・カルロより初演に忠実。舞台は16世紀のスペインとフランドル、対立は多くの人々の本心と生き様を赤裸々にするが、描かれるのはエリザベッタとロドリーゴの物語。確かに、この作品はヴェルディのベスト・ワン。
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