2017年 12月 23日
色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年 村上春樹 |
多崎つくると四人の高校生の「スタンド・バイ・ミー」かと思い、読み始めたが全く違った。
いや、いつもそばにいた五人のなかの一人が消える「キャッチャー・イン・ザ・ライ」かもしれない。
リストのピアノ独奏曲集「巡礼の年」を通奏低音とする「色彩を持たない多崎つくる」がライ麦畑の「白=ユズ」を捕まえそこなった物語。
そのクライマックスにはル・マル・デュ・ペイ(=巡礼の年、第一年スイスの第八曲)が響き、もともと空っぽであったものが、再び空っぽになっただけの多崎つくるが残される。
つくるが黒(=エリ)と再び出会うのは白夜のフィンランド南部湖畔ハーメンリンナのサマーハウス。ここはライ麦畑ではなくシベリウスの国。ここではやはり、メランコリーなリストではなく、リリカルなシベリウスがふさわしい。
駅をつくる多崎つくるはプラットフォームを離れていく(沙羅を乗せた!!?)松本行き特急の最終列車を見送る。残るのは左の手首の機械音、父が残してくれたクォーツやマイクロチップがひとかけらも入っていない、精妙なばねと歯車によって律儀に作動するタグ・ホイヤーの音。
仮に「色彩のない多崎つくる」を日本の青年だとするならば、この書は彼らのための「巡礼の年」。誰も捕まえることが出来ない、ライ麦畑だ。
by leporello1
| 2017-12-23 08:01
| book
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