2017年 12月 21日
映画・ラッキー |
アリゾナ平原の小さな街にひとり住まう90歳のラッキー。
しかし、この映画は月並みの老人映画ではない。
ラッキーの世界は、単純でわだかまるものなく、どこまでも長閑で爽やかだ。
毅然たる彼の生き方、終活は当然だが、鋭い目はいつもまでもじっと前を見据える。
エンディングのハーモニカが鳴り響いたが、座席からは離れるのが惜しいと感じられた。
ボク自身、禁煙してもう40年だが、ラッキーに出会い、またまた吸いたくもなったのだ。
平原に日が昇り、小さなワンルームのラッキーは、目覚めるとヨガ・ストレッチ、
そして、歯をしっかり磨き、よく冷やしたコップ一杯のミルクを飲む。
いつものジーパンとテンガロンのスタイルでジョーの店へ。
砂糖が多めのコーヒーを飲み、クロワードパズル。
メキシコ系ビビの店ではタバコと牛乳を買う。
夜はエレインの店でブラディー・マリア。
みな、ラッキーとは昔馴染みだ。
友人たちとの会話が面白い。
この映画の決め手はクイズ番組で知った
「現実主義は物なんだとさ」というところにある。
「だが、お前の現実と俺のは違う」。
大切なリクガメ・ルーズベルトに逃げられたハワードは
「財産はすべてルーズベルトに遺したい」という。
ハワードを慰めたいラッキーは
「孤独と1人暮らしは意味が違う、人は生まれる時も死ぬ時も1人だ、アローンはオールワンということさ」。
そして、ラッキーはエレインの店で遺産弁護士のボビーを罵る、
「カメに遺産相続させる詐欺」だと。
しかし、ボビーは自分の娘が交通事故に遭いそうになったことをきっかけに、
「予測出来ない将来のためにこの仕事をやっている」と語る。
ある朝、気を失ったラッキーに検査医師は
「年齢の割には健康、害になる禁煙なら敢えて勧めない」と言われる。
人生の終わりを思い知らされたラッキーはジョーの店のロレッタに
「秘密を聞いてくれる、誰にも言わないでくれるか。怖いんだ」と呟く。
いつものタバコをまとめ買いするビビの店では
「土曜日の息子の誕生日パーティーに来て」との誘われる。
気のない返事で家に帰ったラッキー、
その夜、子供時代に間違って撃ち殺したツグミのことを思い出す。
ジョーの店での退役海兵隊員フレッドの沖縄での体験、
それは戦禍に微笑んだ日本人少女のこと。
ラッキーにとっては初対面のフレッドだが、
「彼女の勇気こそ叙勲に値する」と少女を賞賛する。
ビビの息子の誕生日パーティーに参加することにしたラッキー、
突然、子どもたちの前で、大好きなマリアッチを歌い大喝采をうける。
エレインの店でタバコを吸おうとするラッキーは彼女に諫められ激昂する。
しかし、一時おいて静かに語りはじめる。
「俺は真実(ここでは真実はラッキーの現実でもあり物のこと)に拘る。
真実は自分が何者であるかであり、宇宙の真実が待っている。
俺たち全員にとっての真理だ。
すべてがなくなるってこと。
それに向かい合い、受け入れることだ」。
「俺もあんたも、タバコもなにもかも、真っ暗な空(くう)へ。
管理者などいない、そこにあるのは無(ウンガッツ)だけ。
空だよ、無あるのみ」。
「無ならどうする」と問われると、
ラッキーは「微笑むのさ」と答える。
そして、静かに微笑み、タバコに火を付けると、ひとり出ていく。
京橋宝町の試写会
by leporello1
| 2017-12-21 16:50
| Movie work
|
Comments(0)