2013年 02月 03日
日曜日の由なし事 |
最近は朝起きるとタブレットを手にするが、日曜日だけはベッドの上で朝刊、という習慣は今も変わらない。
そこで読みたいはニュースではなくコラム。
小難しい専門家、研究者、文筆家たちの意見・批評を読むチャンス、休日の朝の楽しみだ。
共感し満足し、納得する事が最近は少ないのだが、今朝は面白いコラムを読ませてもらった。
著名な評論家や学者だが最近の纏外や大言には辟易しているがこのコラムは新鮮大いに教えられた。
関西学院大学助教貴戸理恵氏の「若者の生きづらさは財産」。
「生きづらさ」はあるべき理想像と実際の自分の間に距離があり、自己イメージがうまく結べないときに生じる」と彼女は書く。
若者を遠の昔に終えた我が身だが「生きづらい」と感じるのは今も変わらない。
最近はむしろ「生きづらさ」を楽しんでいる節があり、今や「したたか」だ。
彼女は純な若者に向かって「苦しみが生まれるのは、規範意識を持っているからこそ」と書く。
そして我々大人に向かって「生きづらさ」は社会の財産、いたずらに叱咤激励することより、「生きづらさ」が根付いているうちに学校や仕事を意味あるものにすることが大切と言っている。
このコラムで何を教えられたか。
若者は理想像も規範意識も持っている。
持っていないのは大人や政治家たち。
彼らは外される恐怖からすぐ派閥や徒等を組み、打たれ弱さから、簡単に迎合し、空気を読むことばかりに専心している。
夜8時TV「八重の桜」を見た。
今日は寅次郎(吉田松陰)が死んだ、井伊大老も。
最近、再読した「夜明け前」では名も無き学者、町民、百姓、そう庶民が、そして青山半蔵は!
英雄はドラマの中に生き続ける、しかし、ドラマはドラマ。
今、知りたいのは本当の歴史だ。
半蔵が生きる普通の人々の世界は「夜明け前」の中に克明に書かれていた。
半蔵は「ご一新」は中世的武家の支配ではなく、古代に立ち代わる「王政復古」だと考えていた。
だからこそ、「五か条のご誓文」に従い、早々に、本陣・庄屋を返上し、宗教改革後の村人たちのいく末に心を砕いた。
しかし、変わったのは徳川から薩長へ、山家に生きる馬籠や妻籠の人々は前代の尾州藩より厳しい筑摩県の管理たちの圧政に苦しんだ。
「ご一新」で何を失い、何が残され、何が変わったか。
何も変わってはいない、ただただ文明開化と言う美名な西洋化のみが意味を持ち、我々の生活から建築もシステムも消えていく。
壊され、失うことばかりの時代の「継立て」に関わる半蔵も小説の中で身を滅ぼしていく。
余りに異なる小説とTVドラマの印象、どちらもフィクションでありエンターテーメントであることは変わらない。
しかし、久しぶりに日曜日のTVの楽しみと思ったが、最後まで見ること無く、こんなメモを書いてしまった。
そこで読みたいはニュースではなくコラム。
小難しい専門家、研究者、文筆家たちの意見・批評を読むチャンス、休日の朝の楽しみだ。
共感し満足し、納得する事が最近は少ないのだが、今朝は面白いコラムを読ませてもらった。
著名な評論家や学者だが最近の纏外や大言には辟易しているがこのコラムは新鮮大いに教えられた。
関西学院大学助教貴戸理恵氏の「若者の生きづらさは財産」。
「生きづらさ」はあるべき理想像と実際の自分の間に距離があり、自己イメージがうまく結べないときに生じる」と彼女は書く。
若者を遠の昔に終えた我が身だが「生きづらい」と感じるのは今も変わらない。
最近はむしろ「生きづらさ」を楽しんでいる節があり、今や「したたか」だ。
彼女は純な若者に向かって「苦しみが生まれるのは、規範意識を持っているからこそ」と書く。
そして我々大人に向かって「生きづらさ」は社会の財産、いたずらに叱咤激励することより、「生きづらさ」が根付いているうちに学校や仕事を意味あるものにすることが大切と言っている。
このコラムで何を教えられたか。
若者は理想像も規範意識も持っている。
持っていないのは大人や政治家たち。
彼らは外される恐怖からすぐ派閥や徒等を組み、打たれ弱さから、簡単に迎合し、空気を読むことばかりに専心している。
夜8時TV「八重の桜」を見た。
今日は寅次郎(吉田松陰)が死んだ、井伊大老も。
最近、再読した「夜明け前」では名も無き学者、町民、百姓、そう庶民が、そして青山半蔵は!
英雄はドラマの中に生き続ける、しかし、ドラマはドラマ。
今、知りたいのは本当の歴史だ。
半蔵が生きる普通の人々の世界は「夜明け前」の中に克明に書かれていた。
半蔵は「ご一新」は中世的武家の支配ではなく、古代に立ち代わる「王政復古」だと考えていた。
だからこそ、「五か条のご誓文」に従い、早々に、本陣・庄屋を返上し、宗教改革後の村人たちのいく末に心を砕いた。
しかし、変わったのは徳川から薩長へ、山家に生きる馬籠や妻籠の人々は前代の尾州藩より厳しい筑摩県の管理たちの圧政に苦しんだ。
「ご一新」で何を失い、何が残され、何が変わったか。
何も変わってはいない、ただただ文明開化と言う美名な西洋化のみが意味を持ち、我々の生活から建築もシステムも消えていく。
壊され、失うことばかりの時代の「継立て」に関わる半蔵も小説の中で身を滅ぼしていく。
余りに異なる小説とTVドラマの印象、どちらもフィクションでありエンターテーメントであることは変わらない。
しかし、久しぶりに日曜日のTVの楽しみと思ったが、最後まで見ること無く、こんなメモを書いてしまった。
by leporello1
| 2013-02-03 21:35
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