2010年 08月 27日
テオ・アンゲロプロス |
ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスの4作品がBS2で連続放送された。
23日 シテール島への船出
24日 霧の中の風景
25日 永遠と一日
26日 エレニの旅
毎夜半、12時過ぎからの放送。
睡魔との戦いと思っていたが、何のことはない、物語と映像に魅せられた4ヶ日間は大満足な夏の夜の楽しみだった。
すでに、見ていた作品は最後の「エレニの旅」のみ。
しかし、どの作品も間違いなくアンゲロプロス。
全て、現代ギリシャを背景とした彼の初期の名作「旅芸人の記録」を引き継ぐ、音と映像の神話的叙事詩と言えるだろう。
今回の4作品もまた、飽きさせず、奇をてらうこともなく、じっくりと現代の悲劇を歌い続けた。
その背景は圧倒的な音と映像の魅力にある。
ただただ美しいとしか言いようのない、言葉にすることが出来ない映像世界。
そして、それを支える音と音楽の確かさ。
音はスタジオ取りでは、映像にはめ込むと嘘になり、映画にならない。
現場の、映像化された空間で発せられる雨音、水音、風音、靴音、クルマの音、汽車と汽船の霧笛、ドアが開き閉じる音、ホールに反響するアコーディオンやギター、そして歌声と会話、罵声やすすり泣き、絶望の絶叫が映像と協和し映画を生み出す。
4作品から敢えて1作をセレクトするなら、今回は「霧の中の風景」を挙げておこう。
まだ幼い姉と弟の旅。
大人たちは、居るはずもないと子供たちに語り、やめさせようと呻吟するが、
二人は頑に、父を求め、父を捜しにドイツを目指す。
心もとない、拠り所のない、生きる術が何処にも見つからない二人の旅。
その旅は「霧の中の一本の立ち木」を終着点とし、映画は終わる。
しかし、まだ、なにも終わっていない。
食べるものも、頼るものも、すがるものも、泣くところもない二人の旅はまだ続いているのだ。
ボクの心の中では。
それが、人生!
と言ってしまうのは、あまりにも悲しいが。
5年前、「エレニの旅」を劇場で観たときの感想ブログは以下です。
http://leporello.exblog.jp/13857242/
hiroyuki kato/iPhone
23日 シテール島への船出
24日 霧の中の風景
25日 永遠と一日
26日 エレニの旅
毎夜半、12時過ぎからの放送。
睡魔との戦いと思っていたが、何のことはない、物語と映像に魅せられた4ヶ日間は大満足な夏の夜の楽しみだった。
すでに、見ていた作品は最後の「エレニの旅」のみ。
しかし、どの作品も間違いなくアンゲロプロス。
全て、現代ギリシャを背景とした彼の初期の名作「旅芸人の記録」を引き継ぐ、音と映像の神話的叙事詩と言えるだろう。
今回の4作品もまた、飽きさせず、奇をてらうこともなく、じっくりと現代の悲劇を歌い続けた。
その背景は圧倒的な音と映像の魅力にある。
ただただ美しいとしか言いようのない、言葉にすることが出来ない映像世界。
そして、それを支える音と音楽の確かさ。
音はスタジオ取りでは、映像にはめ込むと嘘になり、映画にならない。
現場の、映像化された空間で発せられる雨音、水音、風音、靴音、クルマの音、汽車と汽船の霧笛、ドアが開き閉じる音、ホールに反響するアコーディオンやギター、そして歌声と会話、罵声やすすり泣き、絶望の絶叫が映像と協和し映画を生み出す。
4作品から敢えて1作をセレクトするなら、今回は「霧の中の風景」を挙げておこう。
まだ幼い姉と弟の旅。
大人たちは、居るはずもないと子供たちに語り、やめさせようと呻吟するが、
二人は頑に、父を求め、父を捜しにドイツを目指す。
心もとない、拠り所のない、生きる術が何処にも見つからない二人の旅。
その旅は「霧の中の一本の立ち木」を終着点とし、映画は終わる。
しかし、まだ、なにも終わっていない。
食べるものも、頼るものも、すがるものも、泣くところもない二人の旅はまだ続いているのだ。
ボクの心の中では。
それが、人生!
と言ってしまうのは、あまりにも悲しいが。
5年前、「エレニの旅」を劇場で観たときの感想ブログは以下です。
http://leporello.exblog.jp/13857242/
hiroyuki kato/iPhone
by leporello1
| 2010-08-27 18:05
| movie
|
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