2010年 03月 26日
Twitterをやめます。というブログを読んで! |
大新聞から地方新聞に定期購読を移す人が多くなったのでは?
という掲示板をどこかで読んだ。
ボクも3年前、朝日から東京新聞に切り替えたが、いまの方が以前より、
新聞はよく読むようになった。
時間が出来たから、と言ってしまえばそれまでだが。
そうではない、大新聞には情報があり有名人がいても、生きている人間がいないからだ。
TVも同じ、夕食後、チャンネルを合わせるのは10時以降の特番か映画かスポーツ。
只ただうるさいだけの定時のニュースやバライティー番組は全く不要の毎日だ。
情報かデータかはともかく、手短かで便利になったマスメディアもネットも、
受信する側から見れば、ほとんどがフラットあるいは似たような内容ばかり。
そんな中、自分の見たい、知りたいニッチ情報にのみ関心が向かう。
いやニッチに関心があるわけではない、
結果的に好きなもの、興味があるもののみを拾い、残りはすべてたんたんと流れていく。
話は変わるが、こんなブログを最近読んだ。
以下は転載/流行のことばを語るのをやめる/http://gitanez.seesaa.net/article/144448364.html
流行りのことば、話題になっている事柄を語るのをやめようと思う。
ここ最近は十分にその傾向はあったとはいえ、今後は意識的にその傾向に拍車をかけたい。
流行りのことば、話題の事柄を語るというのは、ある面では他人のことばで語ること、他人の視点で見ることにほかならない。ニュースになっている事柄、ありきたりな言い回しで物事を語ることは容易い。
語りのフレームワーク、物事の見方に関する枠組みが用意されているからだ。
もちろん、用意されたそのままを語るのではないにせよ、後だしじゃんけんには変わりない。
何を出せばよいかは自分で考えるまでもなく決まっている。そんなじゃんけんは終わりにしたい。
このブログの書き手は1週間前、Twitterもバイバイしたとある。
そして、思考の断片をどこに残そう?と問いている。
もともと、流行り言葉で語る自分自身を意識したことがなかったので、
後だしじゃんけんであろうがなかろうが、どうでも良いことではあるのだが、
しかし、このブログは情報時代を生きる上で、最も大事なテーマに触れている。
新聞、TV、TwitterのTL、ブログのRSSをただただ追うことだけが、
仕事であり、娯楽であるような毎日に、最近ようやっと気がついた。
小さなフラットな日常に一喜一憂している自分自身は、
情報の大河を流れる一介の厨芥に過ぎないだろう。
しかし、受信した以上発信はあるはず。
発信するなら自分自身の生きた言葉で語るのは当然だ。
つまり、己の生き様は己の言葉に他ならない。
情報時代は個々人の生き様(ライフスタイルの選択)が、唯一自由に許されている時代。
そんな時代に生きるボクはTwitterはやめない。
後だしばかりであったとしても、自分自身が生きた言葉のみを河に流し続けたい。
という掲示板をどこかで読んだ。
ボクも3年前、朝日から東京新聞に切り替えたが、いまの方が以前より、
新聞はよく読むようになった。
時間が出来たから、と言ってしまえばそれまでだが。
そうではない、大新聞には情報があり有名人がいても、生きている人間がいないからだ。
TVも同じ、夕食後、チャンネルを合わせるのは10時以降の特番か映画かスポーツ。
只ただうるさいだけの定時のニュースやバライティー番組は全く不要の毎日だ。
情報かデータかはともかく、手短かで便利になったマスメディアもネットも、
受信する側から見れば、ほとんどがフラットあるいは似たような内容ばかり。
そんな中、自分の見たい、知りたいニッチ情報にのみ関心が向かう。
いやニッチに関心があるわけではない、
結果的に好きなもの、興味があるもののみを拾い、残りはすべてたんたんと流れていく。
話は変わるが、こんなブログを最近読んだ。
以下は転載/流行のことばを語るのをやめる/http://gitanez.seesaa.net/article/144448364.html
流行りのことば、話題になっている事柄を語るのをやめようと思う。
ここ最近は十分にその傾向はあったとはいえ、今後は意識的にその傾向に拍車をかけたい。
流行りのことば、話題の事柄を語るというのは、ある面では他人のことばで語ること、他人の視点で見ることにほかならない。ニュースになっている事柄、ありきたりな言い回しで物事を語ることは容易い。
語りのフレームワーク、物事の見方に関する枠組みが用意されているからだ。
もちろん、用意されたそのままを語るのではないにせよ、後だしじゃんけんには変わりない。
何を出せばよいかは自分で考えるまでもなく決まっている。そんなじゃんけんは終わりにしたい。
このブログの書き手は1週間前、Twitterもバイバイしたとある。
そして、思考の断片をどこに残そう?と問いている。
もともと、流行り言葉で語る自分自身を意識したことがなかったので、
後だしじゃんけんであろうがなかろうが、どうでも良いことではあるのだが、
しかし、このブログは情報時代を生きる上で、最も大事なテーマに触れている。
新聞、TV、TwitterのTL、ブログのRSSをただただ追うことだけが、
仕事であり、娯楽であるような毎日に、最近ようやっと気がついた。
小さなフラットな日常に一喜一憂している自分自身は、
情報の大河を流れる一介の厨芥に過ぎないだろう。
しかし、受信した以上発信はあるはず。
発信するなら自分自身の生きた言葉で語るのは当然だ。
つまり、己の生き様は己の言葉に他ならない。
情報時代は個々人の生き様(ライフスタイルの選択)が、唯一自由に許されている時代。
そんな時代に生きるボクはTwitterはやめない。
後だしばかりであったとしても、自分自身が生きた言葉のみを河に流し続けたい。
by leporello1
| 2010-03-26 14:02
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