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2012年 01月 11日
2011年 08月 12日
![]() ヨーロッパの伝統的手法である連続的な建築構成で生み出される都市に対し、東京は各々独立した建築の集合体。 では都市東京の建築群はどのように変化し何処に向かおうとしているのか。 どうやら超高層群の中からは生きるため「家」は見えてこないようですよ。 見学のあとまだ時間があったのでICCセンターに寄ってみたが、今日はお休み。 ではと、情報センターでオペラDVDでも見て行こう新国立劇場に回ったがここもお休み。 考えてみればもう、どこも盆休みですね。 2011年 07月 23日
ユルスナールの覚え書きより。「人が生きるべき選ぶ土地、時代を離れて人が自分のために建てる目には見えぬ住み家。 わたしはティブルに住んだ。 そしてそこで死ぬであろう、ハドリアヌスがアキレウスの島で死ぬように。」 知りたかったことがようやっと判った気がする。 ユルスナールに半世紀にも渡り「ハドリアヌスの回想」を書き続けさせたものはなんであったのか。 やはりヴィラ・アドリアーナの建築体験。 それも彼女を古典世界に導いた、しかし、導きつつ早世した父親とのおもいで。 再読し、無謀にもいま、そんなことを考えている。 hiroyuki kato/iPhone 高校の入学式での校長の祝辞は「自主協調・叡智健康」という校訓の説明に始まり、岩波の「自由と規律」、角川の「三太郎の日記」を読みなさい、という内容だった。 自己の生きるべき環境は「自由な市民社会」といわれても、まだ、なんの実感も掴めない当時のボクには三太郎の悩みは到底理解できず、ただただ懸命にメージを繰っていただけだったと記憶している。 大学も工学部に進んでしまい、いわゆるヨーロッパの「教養」というものに無関心のままの学生生活。 しかし、ローマの建築を学び、「パンテオン」「サンタンジェロ城」「ヴィラ・アドリアーナ」を知り、その建築の意味を知りたいと思ったとき、ようやっと気がついた。 建築を学ぶことは「教養」を学ぶこと、「教養」はヨーロッパにおける古典を読むことを通してのみ掴み得る知性だということを。 気がついたのはもう卒業間際だ、二十歳は超えていただろう。 一方「ハドリアヌス帝の回想」をマルグリット・ユルスナールが書き始めたのはなんと二十一歳。 ヨーロッパの歴史、キリスト教、ギリシャ・ローマの詩や文学、ルネサンスの美術や音楽に関心を広げもがいている時、ある日ようやっとたどり着いた、「ハドリアヌス帝の回想」に。 この物語は一人のローマ皇帝の生涯を綴ったものではあるが、内容はガリア、ゲルマニア、ダキア、ヒスパニアやアテネ、アレクサンドリア・・・・という古代都市や地域を舞台にしたギリシャ・ローマの神々、皇帝・詩人・哲学者、医者や軍人たちのお話だ。 そこには聞きかじりの地名人名が散りばめられていたが、当然ながら当時のボクには歯が立たず、長らくその背表紙のみが書棚を飾っていた。 今回、久しぶりに再読する切っ掛けになったのは、以下の言葉だ。 「わたしが1927年ごろ、大いに棒線をひきつつ愛読したフロベールの書簡集のなかに見いだした、わすれがたい一句ーーー「キケロからマルクス・アウレリウスまでの間、神々はもはやなく、キリストはいまだない、ひとりの人間のみが在る比類なき時期があった。」わたしの生涯のかなりの期間は、このひとりの人間のみーーーしかもすべてとつながりを持つ人間ーーーを定義し、ついでに描こうと試みることに費やされた。」 ヨーロッパが持つ多様・多種・多形の「教養」を土台としてしっかりと屹立するひとりの人間、古代と中世、中世と近世、近世と現代の狭間に立つ「自由な精神」の原点。 今回は少しは読み取れたと思う、紀元2世紀を生きたひとりの人間像、狭間に生きる自由と孤独な人間を愛するユルスナールが生み出したひとつの建築を! 2011年 07月 16日
短編集は現代のイギリスでは珍しいそうだ、それもこの作家の作品というから興味深い。カズオ・イシグロ「夜想曲集」。 題名からの想像通り、内容は5つの都市での音楽と男と女の物語。 しかし、読む前の想像を遥かに超えた、不思議?奇妙?おかしな短編集。 「ベルリンの壁の崩壊から9・11まで」、この想定がキーだろう。 わずかな不協和は何処にでもあり、何処にでもない音楽となって読む人を楽しませる。 2011年 06月 06日
![]() 建築仲間とのドライブツァー、今年は茨城西部の街を訪ねた。 大津波と原発事故でニュースの紙面は覆われているが、今回の地震はまた建物にも大きな被害を与えている。 首都圏に住む我々、被災地の物見遊山は慎むべきとの声もあったが、 情報の共有により少しでも復興のお役に立つのであればとの思いもあり出かけることにした。 茨城の建築仲間は現在も被害調査を継続中、しかし、我々の訪問を快く受け入れてくださり、お忙しい中だが長時間ご案内いただいた。 訪れた街は石岡、結城、真壁、笠間、常陸太田、常陸大宮・・・ このリポートでは状況写真のアップは控えるが、どこの街も屋根に載る青いシートが痛々しい。 周辺に豊かな農山村を控え、江戸期に繁栄した中小産業都市が連なる筑波山周辺。 そこには大きな戦火をくぐり抜けてきた明治期の貴重な木造建築の数々が今なお健在だ。 造り酒屋や見世蔵、あるいは正面だけは洋風を真似た看板建築や店ごとギリシャ風に設えた時計屋や床屋さんなど。 みなそれぞれが、後々まで長く残しておきたい建築ばかりだが、その屋根あるいは壁面は大きく崩れ、傾き、壊されていた。 久慈川に沿い山林村を深く分け入ったある集落の一画、 酒造りと養蚕倉庫おぼしき木造建築群に出くわした。 かっては充分に手入れされていたと推測され、桃源郷のような趣を醸している屋敷周りに無断で立ち入り、 主屋らしき建物に向かって声を掛けると、一人の老女が庭先におりてきた。 彼女の許しを得て庭先の小道を分けいると、涼やかな風と清らかな水が流れ。 緑の囲まれた橋の周りからは何の鳥だろう、その鳴き声が水音に和し響き渡る。 庭先に戻ると老女がにこやかに声をかけてきた。 「どこからいらっしゃいました」 やわらかくやさしい小さな声。 言葉に訛りがなく、その抑揚から山里のイメージが消えていく。 彼女はゆっくりゆっくり話してくれた。 今は女性三人だけの屋敷であること。 大学生と高校生のお孫さんが時々遊びにきてくれること。 息子は大きな病院の院長を務めていたこと。 もうリタイヤしたが、ここには戻らず同じ地名だが県が異なる大きな街にいすんでいること。 曾爺さんは天狗党に参加、藩から蟄居を命ぜられたが、やがて許され様々な事業に勢を出し今の屋敷周りを建築したこと。 幸い、この屋敷周りには大震災の被害は見当たらない。 いや震災以前、すでに崩壊は進んでいるのだ。 中間山村の今は人も少ない。 残された建物は立派だが、人の気配がほとんど感じられない。 別れを告げると彼女はまた優しく笑った。 美しい、しかし、寂しい笑顔だった。 2011年 05月 27日
![]() 5月26日、午後から上野、国立博物館の写楽展を観る。 平日の展覧会場はいつも、中高年の見学者でいっぱい。 しかし、今日は女性グループというより夫婦連れと男性客も多く目についた。 写楽は男性にも人気があるということだろう。 展示の前半は写楽以前の人気絵師たちによる歌舞伎役者のブロマイド。 歌麿、師宣、春章、清長、北斎と何でもござれだ。 弥次さん喜多さんを書いた十辺舍一九の絵もあったような気がする。 そしていよいよ、江戸の名物出版社、蔦重プロデュースによる写楽の登場。 まずは歌舞伎役者の大首絵と称する、写楽得意のクローズアップ作品群。 つづいて歌舞伎役者たちの全身の立ち姿。 大首絵が役者の表情をリアルに克明に写し取っているかと思うと、 ここでは身体の動きやひねりを画面いっぱいにレイアウトし、 役者たちの表情と仕草がその出し物における演技そのものを忠実に表現する構成となっている。 (歌舞伎に無知なボクには残念ながら、実際の舞台はイメージすることはできないが) そしていよいよ、背景まで入念に描かれた画面がつづく。 それはまるで本物の舞台のように次々と横並びに展開されている。 今回の写楽展の見所は、戦災等により、もはや国内では残存しないが、 幸いヨーロッパで保存され、生き続けた沢山の作品が里帰りし、 同時に展示されたことにもある。 同じ版木から刷られ、フランス、ドイツ、ベルギー、アメリカ、オランダ等に散っていった写楽が会場では再び出会い隣り合わせに展示されている。 同じ版木でも刷りの違いからくる表情や表現の異なりを、見学者にも読みとってもらおう配慮されているのだ。 解説を読み、一通り見学したボクの印象は以上だが、 見終わってみて何となく満足しなかった個人的感想を付け加えたい。 今日の写楽展は蔦屋重三郎が江戸時代に出版した浮世絵の集大成。 当然、部屋を飾る掛け軸や屏風あるいはふすま絵に比べれば作品は圧倒的に小さい。 手に取って個人的に楽しむものを、わざわざ大きな展覧会場で行列して眺めているという違和感は最後まで拭われることはなかった。 浮世絵と言うものに無知であるボクには、図書館で写楽の図版集を見ること以上の感想は生まれ得るはずはないのだ。 写楽の魅力は画面いっぱいの克明な表情とドラマチックな仕草、 それを小さな画面にたくみにレイアウトし、色数の少なさと合い呼応し、簡潔に表現したことにある。 しかし、曽我蕭白等が描く、見るものが立つ、生の空間をも圧倒する力は写楽には感じられない。 ボクが好きな江戸絵師たちの描く世界には、みな大きな空間が描かれている。 異次元あるいは想像のみの深淵な自然界だとしても、そこにはボク自身を包み込んでいく空間的一体感がある。 小さな版画あるいは画帳の一枚であったとしても、ボクは絵師が描く大きな空間に身を委ねたい。 決して天才写楽を疎んじるつもりはないが、ボクの好む絵師ではないなと結論し、会場を離れた。 2011年 05月 24日
![]() 映画「100,000年後の安全」(東京渋谷アップリンク)、ボクのTLでほとんどツィートされていないので、ポストすることにした。 この映画は21世紀の人々、全てが見るべきだと思っている。 原子力発電により多大な廃棄物を生み出しているアメリカ、フランス、そして日本。 特に第三位の原発国日本は、不幸にして福島第一原子力発電所事故を起こしてしまった。 その結果、これからどういう被害が東日本に、日本全体に、太平洋沿岸地域に及ぶのか、想像するに恐ろしい。 さらにまた、すでに青森県六ヶ所村には3000トンの使用済み核燃料が保管されている。 映画は極寒のフィンランドが冬の安定した熱源を確保せざるを得ない事情から、多大な原子力廃棄物を生み出してしまったことに始まる。 フィンランドは「オンカロ」(=隠れた場所)と呼ぶプロジェクトによって、ヘルシンキの西240キロの小さな島、オルキルトに廃棄物貯蔵所を建設している。 貯蔵所は島の岩盤を掘削し、地下500メートルに建設している地下都市。 無色無臭、しかし、人類にとって最も危険な放射性廃棄物の処理は「太陽にロケットで打ち込むか」「海底に埋めるか」、結局は「地下に埋めるしかない」とわかりプロジェクはスタートした。 「オンカロ」の完成は100年後、つまり21世紀中建設しつづけ22世紀にようやっとの完成する。 「オンカロ」は「100,000年後の安全」のための施設、しかし、いま問われている最大の問題は、その存在を100、000年後の人々にどう伝えるのか、ということ。 「オンカロ」は永久に封じ込めら、永久に高レベル放射能と生命を遮蔽し続けなければならない施設。 そんな施設が小さな島、オルキルトにあることを未来の人々にどう伝えるのか、あるいは、伝える方法などあるのだろうか。 人類誕生からまだ数万年。 数万年前の人類はいまの我々とは全く異なる人類。 1万年前の人々が、彼らがルーン文字により「ここは危険、侵入してはならない」と書いたとしたら、本当に誰もが侵入をやめるだろうか。 多分、多くの人々が「宝が眠っている」と思い、懸命に封入を解く。 未来の人類もまた生物の生命に危険な放射性廃棄物を拡散してしまうにちがいないのだ。 ここに来て映画は情報は知らせない方が、忘れさせてしまう方が良いのではないかというテーマにも踏み込む。 つまり、人類の未来に真に関われる学問分野は。 哲学、情報学こそ重要、いやむしろ物理化学とは正反対の美術や音楽、芸術こそが最も有効ではないかと思えて来る。 ネットと新聞は毎日、事故現場の検証とその管理者原子力村の不手際を伝えている。 そして、そこから見える、日本人の政治と経済は原発の反対・賛成にかかわらず論議は5年先10年先までのこと、いまを生きる日本人、自分たちのことばかりにとどまっていると言って過言でない。 フィンランドの「オンカロ」もまた、電力と天然ガスをロシアに依存せざるを得ないトラウマからの開放目指す、自国の安全保障プロジェクトであることもまた事実であろう。 しかし、映画「100,000年後の安全」は今を超え、地政を超え、未来の安全保障をいかに生み出すかがテーマである。 なぜなら「オンカロ」を知ることが、今、地球にいる我々の責任と語っているからだ。 2011年 05月 17日
「建築成った伽藍内の堂守や貸し椅子席係の職につこうと考えるような人間は、すでにその瞬間から敗北者であると。それに反して、何人にあれ、その胸中に建造すべき伽藍を抱えている者は、すでに勝利者なのである。」これは昔読んだ「戦う操縦士」の中の一節。 我々はいま、 原発事故から抜け出ることはできない。 理由はともあれ、 事故の収束に奮闘する「現場」をいろいろな意味で、 想像してしまうのが日常だ。 そして、やけに、昔読んだサン・テグジュペリが気になっていた。 偶然、今朝、このブログをみつけた。 こんな日常をチャンと理解されているひとがいる。 書評子とは必ずしも、本を書評する人ではなく、 時代を、時代の中の人間を評される人のこと。 彼は仕事に関わる人間の「真摯」を「ピーター・ドラッカー」と「夜間飛行」のなかに読もうとしている。 http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2011/05/post-d9b4.html 「戦う操縦士」「夜間飛行」、 ここには「現場」が書かれている。 当然ながら、サン・テグジュペリにも結論はない。 しかし、そこにはいつも「人間」がいるのだ。 久しぶり「城砦」を読んでみたい。 2011年 05月 14日
多難な時、自粛しろと言われそうだが、フシダラな題材の喜劇を二つ観た。 ロッシーニのオリー伯爵とモーツアルトのコジ・ファン・トッテ。 共に中世十字軍遠征時の女人館の艶色譚。 前回のこのホール、研修所公演プッチーニの三部作「外套」を観ている最中に地震が発生、 客席係員の誘導で2時間待避し、6時過ぎ歩いてようやっと自宅に戻ることができた。 今日の初台、新国立劇場はボクにとってもそれ以来の鑑賞だ。 と、ここまでが昨日の「コジ・ファン・トッテ」の幕間でのツィート。 スマフォ利用の不十分なポスト、モーツアルト・ファンに怒られそうな内容だ。 「コジ・ファン・トッテ」は十字軍にも関係がなければ、女人館の艶色譚でもない。 モーツアルト得意の「愛と寛恕」をテーマとしたアンサンブル・オペラと言うべきだろう。 恋人たちの遊び心を真実の愛に変えて行く音楽の力こそ、このオペラの魅力なのだから。 今日の公演はそのことをまじまじと実感させる素晴らしい内容だった。 オープニングの舞台挨拶で尾高氏は語っている。 「演奏会形式という異例な形ですが、急遽企画した今日の公演に、沢山の方々にお出でいただきありがとうございます。 今回の地震により、外国人をメインとしていた新国立オペラの本公演は悉く中止となりました。 毎回、本公演を支えるべく沢山の日本人歌手がメインキャストのカバー役として練習に練習を重ねております。 しかし、今回はそういう彼らの努力もまた一切報われることなく埋もれてしまいました。 カバー役として練習を重ねている歌手たちの努力にむくいたい、そして彼らの成果を聞いていただきたいと考え、 演奏会形式ですが、新たな本公演を間近に控えた今日、このような演奏会を開かせていただきました。 彼らの素晴らしい演奏をごゆっくりお楽しみください。」 メモしていた訳ではないので正確ではないがそんな内容。 この公演を知ったのは一昨日の「オリー伯爵」を東劇で見た後だった。 会員であることから早速オフィスに連絡すると、まだティケットはあるという。 席は一階最奥、右手には録画機材がならんでいたが、突然出くわした音楽シーンには大満足した。 特に、多彩なアンサンブルのみならず、6人の歌手たちのアリアもふんだんに取り入れられた後半部分、 14人の弦とピアノそしてチェンバロにのる彼らの歌声は大きな感動をともない中劇場一杯に響き渡った。 聴き終わった後、これはありだ。 中劇場でチケット代も安価ならボクにとっては大歓迎、毎回でも実施してもらいたい思ってしまった。 確かに、オペラの魅力は大劇場で展開されるプロセニアム内(舞台と客席を区切る額縁)の多彩で豪華は音楽的虚構にある。 しかし、カバーはカバーだから本公演を差し置いての今回のような公演は新国立では運営上不可能だろうが、 若い歌手が中心となる、小さな楽器編成の演奏会形式のオペラは、もっとあってもいいのではないかと思っている。 オペラをあるいは声楽を生で聴ける楽しみはもっともっとあっていい。 生のオペラを聴くことは多くの人々にとってCDやDVDに比べれば画期的な体験でありからだ。 今日のコジの歌手たちは30台前後であろうか、彼らは皆、原発建設以後生まれた人たちということになる。 ボクの知る30年前、しかし、こんな演奏は不可能だったように思う。 今日の演奏は明らかにこの最近の30年余の成果。 原発の恐怖も知らない若い世代はスクスク育ち、劇場を圧倒するこんな素晴らしいオペラを生み出している。 一方、原発を許容し、建設し続けてきた旧世代、こんな苦難を招いたボクたちのの30年はどんな成果、何を生み出したと言えるだろうか。 若い人々による演奏の内容が素晴らしかっただけに、我が身を思い暗然としたものを残してしまったのも今日の体験。 話は変わるが、ロッシーニの「オリー伯爵」にも一言、触れておこう。 すでに書いたことだが、このオペラを聴きたかったのは演出家バートレット・シャーにある。 彼は前回ユニークなホフマン物語を演出し、ボクは大きな関心を持った。 そして今回はメト初演の「オリー伯爵」、彼は何をやらかすか興味津々だった。 「オリー伯爵」はロッシーニの最後の名作、内容は間違いなく中世十字軍遠征時の女人館の艶色譚だ。 しかし、シャーはそれを18世紀の劇中劇として展開した。 つまり、演じられているのは中世の物語。 観客のボクたちは、舞台を眺める18世紀の観客の一人ということだ。 プロセニアム・アーチという大きな額縁の中にはもう一つ18世紀という額縁がつき、その中の12世紀の物語を21世紀がボクたちが劇場ではなく映画館で眺めている。 シャーは「オリー伯爵」が映画になり、TV放送され、DVDになり、額縁の額縁の額縁の中で展開されることを意識してこのオペラを演出している。 それはまさに、シュルレアリストたちが作り手としての意識を韜晦に韜晦を重ねる手法と全く同じではないか。 メトの「オリー伯爵」は遠からずNHKで放送されるだろう。 その時は、シュルレアリス得意の補助線がどう引かれているかを見破りつつ、このオペラをまた楽しみたいと思っている。 2010年 12月 18日
オペラブッファの原点と言われるこのオペラ、 生の舞台で一度は観てみたいと、 かねてから思っていたが、 年末の休日、昨晩が絶好のチャンスとなった。 いやぁー、面白いのなんの! 登場人物はたった3人、歌手は2人。 これ以上はない小さな舞台だが、二幕も切れなく、 ひっきりなしに客席を沸かしてくれた。 そうだろう、演出はペルゴレージの研究者でもあり、 今晩の企画の責任者ダリオ・ポニッスィ。 かれは前半の舞台でペルゴレージ役を演じるばかりか、 「奥様女中」では召使いヴェスポーネという黙役も演じてくれた芸達者。 小間使いのセルピーナは高橋薫子、 藤原歌劇団のこの役ピッタンコの名歌手。 その歌声は軽やかでやさしい、ユーモアがありコケティッシュ、 モーツアルトやロッシーニのブッファには欠かせぬ逸材だろう。 ウベルト役は立花敏弘。 彼もまたブッファは得意そう、 その伸びのあるバリトンは客席の隅々に朗々と響きわたる。 幕間劇という切っ掛けはともかく、 300年近くも傑作と言われ続けたこのオペラ。 初めて観てその面白さを堪能した。 お話はたわいない。 ウルベルトのお屋敷で生まれた小間使いセルピーナ、 召使いヴェスポーネの力を借り、 まんまとウルベルトの奥様の座を射止めるという物語。 「奥様女中」はオペラのインテルメッゾ(幕間劇)として上演されたのが最初だそうだ。 その本体は1733年にナポリで発表された「誇り高き囚人」。 そう解説を読むとなるほどとも思う。 いまでは全く上演されることのないオペラセリア「誇り高き囚人」だが、 その題名から類推するに、 まさにこの幕間劇のウルベルトこそ、 幕が降りた後の「誇り高き囚人」といえるかもしれない。 これも解説だが、ナポリで名をあげやジョバンニ・バッティスタ・ペルゴレージ、 彼はなんと26歳の若さで結核で死んだと言う. この生誕記念300年公演を観るかぎり、 モーツアルト以前、 こんな面白いブッファの作曲家がいたんだと改めて知り、 音楽もまた確実に音楽の上に作られていると実感した。 2010年 11月 13日
舞台と演奏者は変わるが、連続して同じ出しものを鑑賞することは珍しい。 先週の東京室内劇場コンサートはたまたま二つのラ・ボエームを聴くというプログラムだった。 どうやらボクのOpera趣味もかなりマニアックか? 誘われ時間があれば何でも聴くというのがボクの音楽スタイル、自主的な選択ではないからまだマニアックとは言えないとおもうが。 まぁ、そんな事はどうでもいい、共に研修中の若い歌手たちによるイル・カンピェッロ、どちらも充分に愉しませてくれた。 ポピュラーでは無いがこのOpera、ボクの好みであることは間違いない。 際立ったアリアも無ければ、主役もないイル・カンピェッロ、研修生公演の所以もこの辺りだろうが、結果として、時系列としてのドラマではなく、絵を観るように静止画のような音楽を楽しむというOpera鑑賞法にはピッタリな演目だ。 あそこがいい、あの人がいいに拘ってしまいがちなOperaの鑑賞、拘れば拘るほどある種の不満を引きずってしまう。 壮大な構築物であるOperaでは全てに完璧である事は目標ではあろうが不可能だ。 無責任かもしれないが、スカラ座もメトも奏楽堂もジーリオも変わりはしない。 違いがあるとすれば、時系列に表現されるシーンの出来と舞台構成、むしろどんな壮大なOpera でも、全体が一つの音楽的世界になっていないとしたらそれこそ興ざめだ。 今日の演目のポイントは見終わった後の印象を一幅の絵画のように表現する事、そんな目的と成果が充分に果たされていたことが愉しかった理由だろう。 もっとも、今日のOperaとスカラ座を同じ平面で比較し、語る事はもとより無理な話だ。 しかし、Operaの楽しみは時系列以上に一幅の静止画にあるという観点に立ち返れば、イタリアの小都市で繰り返し演奏されるOpera、その演目がボクたちにとってポピュラーであろうがなかろうが、いつでもどこでも楽しまれているという、本場のOpera事情は容易に理解できる事かもしれない。 残りはちょっとだけ感想を記しておこう。 あえて意味のない時系列で今回の二つのイル・カンピェッロを追ってみると、その出来は今日の方が優れていた。 決して奏楽堂が不満足だったわけではなく、今日の歌手と舞台の出来は先月より一段上だったということだろう。 2010年 11月 04日
ウフィッツ美術館・自画像コレクション展(損保ジャパン東郷青児美術館14日まで)を観る。何年か前、東京芸大の卒業制作が自画像であり、明治以来の四年生の自画像4800枚をNHKが取材し特集番組として放送したことがあった。 絵画制作はもっともラディカルな表現行為だ。 その表現のためのテーマが「自己」だとは、なんと厳しい卒業制作かと驚いた,、 さらにまた、あまりにも明解、直裁なテーマ、全てが己、現実・想像、過去・未来。 表現者として立つことは、かくも過酷なことかと放送を見て感じた。 自画像は文字通り自分自身を描くこと。 自分を見つめ、自分を読み、自己の技術で、自分を描く。 そんな状況に立ち会ったことの無いボク自身、技術のなさは当然としても、 自分なら、自己をどう捉え、どう描き出したいか、しばらく考えてしまった。 「自分は何者なのか」を自分自身で答え、自分自身で表現しなければならない。 ボクには不可能だ。 フィレンツェの「ヴァザーリーの回廊」に展示されている多大なコレクションから選ばれた60点。 その1つ1つ作品は当然だが、一連の展示方法もまた興味深い内容。 全体は17世紀初頭から現代まで5室に分類されていて、群としての通時的な絵画史が読み取れる。 一方、1つの室に留まれば、そこは共時の中の様々な画家の姿。 表現の方法は異なるが、見えてくるのは彼らの生き方。 表現である以上、そこにはあるのは引用と韜晦、目一杯の修辞の結果が小さな額縁の中のキャンバスに閉じ込められている。 面白いと思ったのは19世紀、この時代は芸術は神、その所以は音楽だと思っていたが、それは間違い、かくも画家達が大事にされた時代だったのかと感心した。 見落としていけないのはティントレッタ・ベルニーニ・ハウフラーケン・アングル・ルッソロ・キリコ・タピエス・草間弥生、すべてボクが事前に知識を持つ有名画家たちばかりだが、展示された自画像からは全く予期しない彼らの言葉が聞こえてきた。 2010年 10月 09日
高校時代の文化祭、 柔道の朝練の仲間たち、 こぞって女装し、パレードした。 あのときの友人たちの顔、テレとはしゃぎ、 とてつもなく楽しく、気持ちよかったのを思い出した。 卒業して初めてのヴェネツィア見学。 サンタ・ルチア駅の近くの安宿のおばさん。 女性なのに、ひげが生えていたのを思い出した。 初めてのオペラ、「イル・カンピエッロ」の観ながらのこんな思い出と感想は不謹慎。 お許しを、しかし、とても楽しいオペラ、その舞台と衣装、音楽も優雅でなめらか。 「イル・カンピエッロ」は小さな広場を意味する、それも下町ヴェネツィア。 ミュンヘンで学んだようだが、ヴェネツィア生まれのフェラーリのオペラ。 ゴルドニーの戯曲が原型というが、19世紀特有のヴェリズモ・オペラ。 小さな広場を囲む住民達の日常、そこにあるのは、ねたみと嫉妬、恋に喧嘩。 かわいい3人のソプラノに、ひげの生えた3人のおばさんテノール。 その親しみのあるドタバタが全てアンサンブル、そして音楽だ。 イタリアに限らず、世界中の下町どこにでもある小さな風景。 いや、もう無いかもしれない、広場や井戸端という楽しみ。 高校時代の友人たちの顔顔顔を思い出し、金のなかった卒業旅行のヴェネツィアがよみがえる。 こんな、オペラはじめて観た、しかし、これが本当のイタリア・オペラかもしれない。 小さな街の小さな劇場、歌われる音楽は一級のアリアというよりアンサンブル。 大言壮語の物語ではないが、全ての人間が絡まる恋と喧嘩と涙のオペラ。 2010年 10月 07日
この映画はイラン映画。 保育園に通う3人の子どもと3組の夫婦仲間、3台のマイカーによる3日間のバカンス。 ファミリー・バカンスには独身の男女2人も加わる。 美しいエリは子どもたちの保育園の保母さん。 人の良いアマードは古くからのファミリー仲間。 テヘラン郊外の浜辺の波音はダンスとゲームと歌と冗談に興じる仲間たちの嬌声に打ち消され始めは静かだ。 浜辺からエリが消える。 途端に波音高くなり、人と人の間の隙間が露わになる。 やがて隙間は激しい波音に増幅され拡大する。 観終わって、3時間も経つのに波音はまだ消えない。 2010年 09月 29日
昨晩(28日)のイタリア文化会館はパドヴァだった。 都市の紹介とコンサート、会場は満員。 イタリア大使も参加してのイベントの盛況は、 現在のイタリア人気そのものを象徴している。 イベントはスライドレクチャーから始まった。 イタリア人女性スタッフが懸命に説明する。 ブレンタ川と運河による水の都市パドヴァ。 15世紀以降はヴェネツィアの支配下に入るが、 古代ローマ以来の自治都市パドヴァは13・14世紀、多くの成果を生み出した。 ジォットのフレスコ画で有名なスクロヴェーニ礼拝堂。 ここはパドヴァの高利貸しスクロヴェーニ家の個人的な教会だが、 フィレンツェ以前、間違いなく中世から近世への橋渡しした名画の宝庫であることは有名です。 次の紹介はドナッテルロやガリレオのパドヴァ大学(イル・ボ)。 発祥はどうやら牛(イル・ボ)をアイコンにしたホテルらしい、 しかし、なんと言っても13世紀に誕生したウルベニスタ(自由)。 近代の学問はホテルからスタートした自由な思考であったことが面白い。 説明はまだまだ続く。 エレミターニ教会(1276年) パラッツォ.ラジョナーレ(1218年) イタリア最初の時計台 扉がなく誰でも自由参加のカフェ・ペドロッキ(1826年) サン・アントニオ大聖堂に植物園、そしてプラート・デッラ・ヴァッレ(広場) この日ボクの最大の関心はコルナーロのロジアと奏楽堂(16世紀)。 何年か前、訪れたこの都市だが、この建築だけは見ることが出来なかった。 この日、修復なったこの建築を舞台上の大画面スライドで初めて魅せていただいた。 ロジアには様々な物語があるが、昨晩は建築のための集まりではない。 このブログでも、今は残念、付け加えるものはなにもない。 ただ一つ、パッラーディオのヴィラも同じだろうが、 16世紀の農業社会と視覚分野のグロテスコとの関係。 パドヴァもまたヴェネツィアの陸の支配拠点であったはず。 いろいろ面白いテーマを抱えているに違いないとだけ、書いておこう。 後半はパドヴァに拠点を置く、日本人音楽家親子によるピアノトリオ。 演目は全てイタリア人作曲家。 ヴィヴァルディ、タルティーニ、ペンテ、c. ポリーニ(マウリッツォではない)にパガニーニ。 面白かったのはパガニーニのディヴェロプメント、「パドヴァの魅力」 なんと、今晩が日本初演だそうだ。 パドヴァ・トリオの主宰者佐々木一樹氏が最近発見された譜面だそうだ。 パドヴァではすでに出版されたらしいが、 コンサートで発表されるのは今晩が最初と言うこと。 曲想は柔らかくイタリア特有のメランコリーに支えられた美しいメロディーの連続。 僅か2楽章の小曲だが、ピアノとチェロとヴァイオリン、その対話劇は絶妙だ。 日本人とは言え、さすがこのトリオ、その遊び心はイタリア育ち。 アンコールはピアノトリオによるヴィヴァルディの四季から「夏」。 あの小刻みな弦の震えによる夏の印象、客席は気持ちのよい夏の終わりを実感した。 2010年 09月 24日
コンピューターの中の膨大な電子情報を、何の操作・編集もなしに次から次とプリントアウトし、そのゴミのようなタブローを会場中にバラまいていた。 そんな印象を持ってしまった今回の「AAスクール建築展」。 東陽町の竹中本社GalleryA4の「世界の建築スクール展」は世界の現在の建築教育を紹介する画期的な企画。 今回はロンドンのAAスクールの持つ先端的建築思想と教育内容を伝えるという、貴重な展覧会。 今日(24日)が会期終了日と聞き、慌てて見に行くこととした。 感覚的英語力不足のボクにとって、この展示会からは何も得るものがなく、上記のような印象。 現代建築は粗大ゴミという批評が、かって大きな顰蹙を買ったことがあるが、今日のボクの印象は「このゴミの中から、これからの建築は生まれるのだろうか」というなんともネガティブなもの。 建築のみならず時代はコンピューター無しでは一歩も進めない。 しかし、コンピューターの中からだけでは建築が生まれないのもまた事実。 こんなこと、誰もが判っている。 今日は残念。 建築家の卵たちの言葉と声、何も聴き取ることが出来なかった自分自身、 恐ろしいような焦燥感を残し会場を離れることとなってしまった。 2010年 09月 22日
21日の九段のイタリア文化会館は「バルバラ・カポキン国際建築ビエンナーレ」日本巡回展記念シンポジウム「地方から発信する建築」。 久しぶり、建築をテーマとした楽しいシンポジウム。 イタリアのパドヴァを拠点とする国際建築ビエンナーレは2003年の「バルバラ・カポキン賞」からスタート、2007年からは建築賞、展示会、各種イベントがパラッツォ・デッラ・ラジオナーレを拠点として隔年で開かれている。 当日の主宰者の説明では、過去430点の建築賞応募があり、日本からは66件もの応募、イタリアに次いで第二位の出品だそうだ。 評価成績も素晴らしく、日本の建築家が4回の建築賞のうちグランプリを2回、他に住宅部門賞、商業建築賞を受賞している。 当日のシンポジウムはその受賞者4名と賞の審査員の一人であり、2007年のラジオナーレの展示作品制作者である隈研吾氏によるもの。 スライド説明の受賞作はみな、東京ではなく、地域で活躍する建築家の作品、住宅を中心とした小規模建築ばかりです。 そして、皆さん共通して、「賞をいただき、このことが自分自身の建築活動の’自信につながった」とおっしゃられたのが印象的。 受賞作は大規模でもなければ、グローバルな提案ではない、しかし、どの作品も建築の原点である「建築の建つ場所」を懸命に読み取っての新鮮な提案。 一極集中のグローバル東京にいるボクが最近忘れていた何かを、このシンポは確実に思い出させる貴重な内容でした。 さらに、面白かったのは、隈氏の話。 日本の幕藩体制から明治維新を龍馬等人間像を透して読み取ることがよくあるが、同時代の地域像、その歴史と文化をよくよく眺めると、各々の地域が個々別々に独特の興味深い内容を持っていた。この地域のかたちの違いはイタリア半島も全く同じ、という指摘。 さらに彼はシンポの終わりに全員に「今後、建築はどう変わるか」と問うた。 こんな難しい質問に対し、受賞者は短時間ながら真摯に答えた。 そして、皆さんの話を要約すれば、環境やサステーナブルは当然だが、むしろ、グローバル・スタンダードでは届かない部分、それは決して反語としてのローカリズムと言うことではないのだが、どんなに小さい、弱い建築でも、その建築に秘められた「哲学」が問題となる。 ボクも全く同感だ。 2010年 09月 05日
野暮用をこなした休日の夕方、映画・瞳の中の秘密を見る。 ポカッと取り残された一人時間、有楽町で映画を見ることとした。 9月になっての夕方だが、まだ真夏としか言えない街景色。 しかも、駅前は当然、日比谷に近い映画街も人ひと人だ。 案の定、シャンテの館内も一杯だった。 この映画は賞も取り、人気は集中、混むのは当然だろう。 いやぁ、いい映画だ。 見終わった感想は、 評判通りの大人の恋とサスペンスに大満足。 何が大人かって、それは「耐えるしかない、静かな恋だ」。 しかし、見てるところは見ている、 そして、お互い全てがわかっている。 しかし、どうにもわからない男が一人登場する。 主人公は親友を亡くした時、 初めて、わからない男と自分自身の恋を確信した。 映画ではなんて言っても主人公リカルド・ダーリンが魅力的だ、 男にとっても。 彼の甘く渋いマスクだけでなく、声がいい。 アルゼンチンの映画だから、言葉は全くわからないのだが、 彼の言葉のリズムと感情はこのドラマにはピッタリだ。 また、いつも通り、ボクの映画への関心は音楽だが、 このドラマにはこの国の定番のタンゴは登場しない。 クラシックとジャズとミロンガのような民族音楽。 ビートも重低音もなく、その通奏低音の音の流れは彼らの感情そのもの。 音楽は静かに大人の恋とサスペンスを奏でている。 エンタテーメントで選ぶなら、 今年の映画のトップ、ボクは間違いなく、この「瞳の中の秘密」を押すね。 2010年 08月 27日
ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスの4作品がBS2で連続放送された。 23日 シテール島への船出 24日 霧の中の風景 25日 永遠と一日 26日 エレニの旅 毎夜半、12時過ぎからの放送。 睡魔との戦いと思っていたが、何のことはない、物語と映像に魅せられた4ヶ日間は大満足な夏の夜の楽しみだった。 すでに、見ていた作品は最後の「エレニの旅」のみ。 しかし、どの作品も間違いなくアンゲロプロス。 全て、現代ギリシャを背景とした彼の初期の名作「旅芸人の記録」を引き継ぐ、音と映像の神話的叙事詩と言えるだろう。 今回の4作品もまた、飽きさせず、奇をてらうこともなく、じっくりと現代の悲劇を歌い続けた。 その背景は圧倒的な音と映像の魅力にある。 ただただ美しいとしか言いようのない、言葉にすることが出来ない映像世界。 そして、それを支える音と音楽の確かさ。 音はスタジオ取りでは、映像にはめ込むと嘘になり、映画にならない。 現場の、映像化された空間で発せられる雨音、水音、風音、靴音、クルマの音、汽車と汽船の霧笛、ドアが開き閉じる音、ホールに反響するアコーディオンやギター、そして歌声と会話、罵声やすすり泣き、絶望の絶叫が映像と協和し映画を生み出す。 4作品から敢えて1作をセレクトするなら、今回は「霧の中の風景」を挙げておこう。 まだ幼い姉と弟の旅。 大人たちは、居るはずもないと子供たちに語り、やめさせようと呻吟するが、 二人は頑に、父を求め、父を捜しにドイツを目指す。 心もとない、拠り所のない、生きる術が何処にも見つからない二人の旅。 その旅は「霧の中の一本の立ち木」を終着点とし、映画は終わる。 しかし、まだ、なにも終わっていない。 食べるものも、頼るものも、すがるものも、泣くところもない二人の旅はまだ続いているのだ。 ボクの心の中では。 それが、人生! と言ってしまうのは、あまりにも悲しいが。 5年前、「エレニの旅」を劇場で観たときの感想ブログは以下です。 http://leporello.exblog.jp/13857242/ 2010年 08月 24日
19世紀のワーグナー、ヴェルディのオペラに匹敵する作品と言われる、オッフエンバックの「ホフマン物語」を観た。 メト・ライブビューイング、東劇。 名作とは言え、このオペラを全曲聴くチャンスは非常に少ない。 そのせいか会場はいつものポピュラーなオペラに比べ空席がめだった。 3時間半に及ぶ「ホフマン物語」は、 自動人形、歌うことを止められたソプラノ歌手、高級娼婦という3人に恋をする詩人の話。 舟歌でも知られるように、その全体は華々しくかつ幻想的だが、 実際は、詩とは詩人とは何かを問う、 19世紀の切実な芸術の問題がテーマとなっている。 一幕と終幕、その間に三つの挿話が挟まれている。 オペラは情景も内容も多彩で複雑だ。 変化に富む場面と沢山の歌手たちによるアリアに重唱に合唱、 どの場面を切り取っても、そこは魅力一杯の音楽と舞台の展開。 全曲を通し、一貫した役割を演じるのは物語を語り演じるホムマンだけ。 しかし、実際はミューズはニクラウス、 リンドルフはコッペリウスとミラクルとダンベルトット、 場面と衣装が変わっても、 同じ歌手が幻想的には同じ人物を演じると言う複雑さ。 力量ある歌手でなければ、 多彩に演技し歌い続けることは至難と言える。 メトの公演。 世界中の名歌手を集められるこの劇場だからこそ、 可能であったと考えられるのが今日のオペラだ。 この鑑賞がよい切っ掛けだ、 改めてこのオペラのDVD化された他の公演を引き続き聴いてみたい、と今は思っている。 その理由はなんと言っても先に書いた、このオペラのテーマにある。 それは19世紀における芸術とは何かということ。 オッフェンバックは軽快なオペレッタだけの作曲家ではなかった。 17世紀のモンテヴェルディがオルフェに音楽家である自身のテーマを託したように、 19世紀のオフェンバックは市民社会の芸術家とは何か、 自分自身は何者なのかを、このオペラで語ろうとしている。 ミューズがニクラウスであるように、このオペラのポイントは、 三つの物語は全てホフマンが振られたステッラであることだ。 17世紀のオルフェも19世紀のホフマンも共にミューズから始まるところが面白い。 ミューズはご存知、詩歌の神、音楽の神、芸術の導き手だ。 そんなミューズと。 このオペラではホフマンは終始ミューズであるニクラウスと共にある。 そう、ミューズであるニクラウスは「音楽」ではあるが19世紀では「社会」なのだ。 ここにこのオペラのテーマが仕込まれている。 ニクラウスはリンドルフと共にホフマンからステッラを奪った。 全ての恋を失ったホフマンはミューズとわかれ、一人机に向かうところで幕が閉じられる。 |
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